「非」被災者鬱

  なんか昨日の仕事(厳密は当日の未明)が引きずって、休みであることが認識できんかったな。今日はまるてるの誕生日。うちの親を呼んで、寿司やケーキ食べて祝った。奥さんとうちの母親が誕生日プレゼントとして買ったベイブレードや腕時計で楽しそうに遊んでいる。うんけいも小学生になるし、年食うはずだよな。

 

  しかし、こんな普通の日常もどこか楽しめない自分がいる。もちろん、震災のことが気になって。うちがこうやって楽しい日常を送っている一方、被災者は過酷な環境を強いられている。何かをしなければいけない。苦しんでいる人がいる。自分たちだけ楽しんではいけない。でもどこまですればいいんだ?募金はした。でも、自分たちの生活に影響のない範囲でだ。やろうと思えばもっとやれる。食べるもの、趣味、こどものおもちゃ、貯金。いろんなものを切り詰めればもっとやれる。

 

  できん。自分の親戚を助けるのは当然だし、自然とそういう気持ちになるだろう。しかし、全く縁のない人達に対して、俺は何をどこまですればいい?現時点でボランティアで現地には行けない。何の訓練も受けてないし、自分が現地で生きていく術さえ確保できない。できたとしても、今の仕事や家族をどうする?抜けた穴は自分で埋めるしかない。ホームステイを受け入れるか?この空き部屋が無い状態で?せめて家でひたすら祈ればいいのか?

 

  大体、それを言い出したら、東北・関東大震災以前に、世界ではいろんな災害・戦争被害がある。飢餓に苦しむ子供たち。日本だって生活保護を受けている人とかいっぱいいる。支援を必要とする人はいくらでもいる。それは何もしなくていいのか?今回の災害との線引きは何だ?一応ユニセフには毎月募金してる。微々たるもんだけど。日本国内は税金の中にそういうのが含まれてると解釈してる。節電、節約だっていつもやっている。とにかく、身の回りの水道やらガソリンやら病院やら買い物やら、全てのことが贅沢のように感じて気が重い。

 

  支援は義務ではない。でも、この未曾有の事態に世の中の考えがそれを許していない気がする。それだったら、有事の事態にはボランティアを出すような法律を作ってくれた方が気が楽だ。裁判員制度みたいにな。あと、期間限定の増税とか。

 

  考え出すときりがないが、やはり国内で身近に広範囲にわたる災害故、やはり自分たちが率先して支援すべきだろうという気持ちは変わりない。しばらくは毎月小遣いから募金するつもり。

 

  しかし、身の回りは普通だ。市民マラソンは延期になり、申し込んでた釣りセミナー&大会も延期になった。でもそれくらいかな。個人的に遊ぶことには制限がかかってない。みんなテニスの練習してるし、釣りもしてるようだ。釣り人は特に頭いかれてる。地震後3日もしないで、磯に上がって釣ってる人もいたようだ。余震がばんばん起きてたのに怖くないのかな?渡し船なんか迎えに来てくれないぞ。でも、みんな今何が起きているかわかってる。わかってる上でいつも通りの週末を送っている。

 

  こっちの人間はある程度覚悟してると思う。今回の災害後特に。例の南海大地震。生きている間に絶対ある。備えはすれど、どこまですればいいのかわからない。してたって、災害グッズ持ち出せるとは限らないし、俺なんか釣りしてるときに地震食らって足下のテトラ崩れて海に落ちるかもしれない。結局、いつもの生活をより楽しく、真剣に、大事に生きていく。改めてそう感じているのではないか。

 

  改めて、被災者の皆さんにはがんばって欲しい。くじけそうな状況だけど、頑張らなければいけない時だと思う。辛いけど本当に頑張って欲しい。