運動部活動指導者

軟式のシングルスの試合以来、失意のまま復活できずにいる。

硬式で負けるのはいつものことで慣れてしまっている。

しかし、ソフトテニスであのような情けない姿で負けてしまったことに対し、自分に対して大きな失望を抱いたままでいる。

勝ち負けは相手もあることだし、調子の善し悪しもある。しかし、それ以前に自分の技術があんなにおかしなことになってたことが、信じられないでいる。

今の状態ではあの日試合に来ていた女子大学生や女子高校生にも負けるだろう。

試合の動画を見るたびに情けない気持ちになる。硬式でのあのへぼフォア。テイクバックが小さくこするだけ。振れば振るほどすっぽ抜けたりフレームショット。まさか、軟式の方までこんな打ち方になってると思わなかった。

憎い。硬式やってる自分が憎い。硬式の方がどんなにへぼくても、軟式の方はできるというのが心の拠り所だったのに、今、全てが壊れてしまった。

ずっと前から気になってることがある。

公立学校運動部活動指導者。

以前から運動部活動指導員という仕組みがあったのが、いつからか変わったらしい。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kyoiku/sports/5043786/

何が変わったのかは要綱の「運動部活動指導員と外部指導者の違い」で説明されてる。

大きく違うのは、外部指導者は基本的に学校の部外者であり、先生の代わりに試合の引率等はできなかったのが、

運動部活動指導員では立場としては公務員となり、単独で指導・引率ができるようになるとのこと。

今の仕事にはもう希望はないが、前から何か人に伝えたり教えるような仕事をしたいと思うことがある。

子供がソフトテニスやり始めて、一緒に練習して、そういう考えがより強くなっている。

電気系の学部を卒業したのだが、単位を揃えていれば工業系の学校の教員免許を取ることができた。でも、当時はそんなことどころか、自分が何の仕事をしたいのかも全く考えてなかった。今になって教員免許を取っておけばよかったと後悔している。

そんな中で先の運動部活動指導員のことを知って考えている。

もう人生半分終わった。体は確実に衰えていく。夢を見ることに限界はないというが、現実的にはもう無い。

人生の終わりが見えてきたことで、死ぬことの恐怖が日々大きくなっている。この世から自分という存在が消える。体はもちろん、心もなくなる。何も見ることも考えることも感じることもできない。自分が存在しないということも認識できない。未来永劫、無となる。

せめて、死ぬ前に自分の知ってることを残したい。わずかなことだけど、誰かに何かに経験したことを伝えたい。

問題はいつ登録するかということ。

外部指導者は自分の空き時間を利用してというイメージだった。

しかし、運動部活動指導員となると、先生の手伝いというより、ほぼ代わりになる存在なのだろうか?下手すると顧問の先生自体がいなくて、指導員がほぼその立場になるのだろうか?そうすると、かなりの時間をそこに当てることになる。

おそらく激安だろうが公務員ということで給料をもらうとなると、あまり自分の好きなように行くというわけにはいかないのではないだろうか。

まだ、自分が試合に出たいという思いもあって、並行でそういったことができるのかがわからない。

教えるなら自分が動いて見せたいし、でも体が動くうちは試合も出たいし。

そもそも普通に仕事してるので、平日はできないし。

はたして・・・