とくしまマラソン2019 ランナーはゴールの果てに何を見るのか?

2019/03/17。やってまいりましたとくしまマラソン!!去年気まぐれで応募した後、何の準備もせず。3週間前にさすがにまずいかなと思って30年ぶりに10km走ったら足痛めて、その後は2km×2回。練習総距離14kmで本番に挑む。

奥さんに近くまで来るまで送ってもらって歩いて手荷物預けのトラックへ。道路は封鎖され、わらわらと人が集まっている。慣れない雰囲気でそわそわする。だいぶ時間が余ってるので、路肩に座って時間を潰す。そろそろかなと走る格好になって荷物を預けスタート位置へ。

スタート前。どこがスタートラインなんだろう?

日が出ておらず、肌寒いんだけど、風はなくてちょっと暑めの格好をしてたので大丈夫。近くにいた半袖短パンの兄ちゃんは寒くて震えてた。俺は上はヒートテック、防寒コンプレッション、Tシャツ。下はパンツ、ヒートテック、防寒アンダーウェア、太ももスパッツ、短パン。

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ここで、嫌な予感。すでに痛めていた右足首が少し痛い。ここ数日はなんとも無かったのに。

8:40。スタートセレモニー。飯泉知事、野口みずきさんの挨拶で盛り上げてくれる。

9:00。第1ウェーブスタート。で、第2ウェーブの俺らは歩いて前に進んで、改めてスタート位置へ。

9:10。第2ウェーブスタート。しても歩いて前へ。スタートラインでやっと小走りに。沿道に沢山の人や応援隊が集まって盛り上げてくれる。

しかし、最初はランナーが団子状態で固まって進むしか無い。吉野川大橋にさしかかるところからスペースができ始め、するすると前に交わしつつ走る。しかし、やっぱり足痛い。あまりスピードを上げられない。

吉野川の土手に入ると道が細くなり、また団子状態。土手の上のため、遥か先まで視界がひらけてるが、視界の途切れるまでランナーが走ってる。

やっぱり右足首が痛い。足を痛めてからどんな走り方がいいのだろうかと試していたのだが、団子のときは普通にかかと着地。開けたらつま先着地と使い分け、快調に前に進んでいく。俺は最後尾のEブロックだったが、5kmあたりでは周りにDブロックのランナーが多くなり、10kmあたりではCブロックの人が多くなってきた。

おそらくここまで1時間ちょっとで走れている。10km過ぎても足は止まらない。練習では10km走ったときはへろへろだったけど、一回走ったことで足が覚えてそれだけの力を取り戻したのだろうか。もう1/4終わった。オーバーペースかもしれないが、行けるうちに行っちゃえ。

しかし、走れたのはここまでだった。

ほどなくして右足首の痛みが増してきて、走り方云々言えなくなってきた。ずっと我慢してたトイレ。どこまでいっても行列ができていて、スルーしてきたが、足が痛いこともあって並んだ。うー、早く前に進みたいのに。数分待って用を足し、その後、シューズを脱いで痛い足裏に冷えピタを張る。スプレーは荷物になるので持ってきてなかった。係員さんにひと声かけられた後にスタート。しかし、冷えピタの厚みが痛いところを圧迫して余計に痛い。またすぐ止まって、足の甲側に貼り直す。

あー、時間のロスが。取り戻さねば。しかし、足が動かない。やはり10kmまでの足だったのか、止まったことで逆に足のペースが変わったのか、とにかく前に進まない。さっきまで追い抜きまくってたのが、どんどん抜かれ始める。しかも、とても速そうには見えない人たちに。

15kmくらい。走り始めから北の空の方で、もしかして雨降ってるんじゃないのか?と思ってたのだが、その黒い雲が近づいてきて雨が降り出す。しかも、とんでもない風と共に。強く冷たい北風にのって、結構な量の雨が打ち付ける。走ってるせいか厚着のせいか、寒さはあまり感じなかったが、ずぶ濡れになってきて、さすがにまずいかと思い、頭と手の位置に穴を開けていたゴミ袋をかぶる。周りの人もそういう人が多いが、何もしない人もいる。雨が少し降るかもしれないという予報だったが、まさかここまでの雨にやられるとは・・・。中にはガタガタ震えて止まっている人もいる。俺ももっと早くかぶるべきだったと後悔した。

痛い足をかばいながらどうにかこうにかで20km。ここらへんで雨と風はおさまった。途中、名田橋や第十堰を見て、ここまで自分の足できたんだと感動。だれか若い人がライブで歌って応援してくれてる。痛い。足が進まない。辛い。なんか勝手に涙が出てきた。そして折り返し地点。同じ会社の人が視覚障害者の人の伴走で先に走っていくのを見た。くそー、速いな。

しかし、半分来た。俺はどんな辛いことも半分過ぎれば、後は思った以上に早く進んで切り抜けられる、という法則を持っている。だから、後は粛々と足を進めるだけだと思ってた。ゴールはすぐ近づいてくると思ってた。

しかし、地獄はここから始まった。

いつまで立っても22km、23kmと言った看板が出てこない。全然30kmに近づかない。そうなのだ。10kmくらまでのペースから圧倒的に遅くなってるのだ。どれくらい遅くなってるのかわからずいらいらするが、落ちているのは間違いない。走るまでバカにしてた、普段何もしてないような若いねーちゃんやおばちゃん、おっさんにどんどん抜かれていく。右足に加えて左足首も痛くなってきた。

30km。あたり。ここらへんで今まで気にしてなかった関門のカットオフが気になりだす。折り返し後の第4関門では30分くらい余裕があった。その後、延々と長く続くまっすぐの土手道。途中、係員の人が「あの橋まで14:45」と言われる。あの橋?なんか遥か彼方なんですけど・・・。急がないと。しかし、どんなに焦ろうが、気合を入れようが、足は動かない。足首はもう痛すぎて、痛みを感じなくなった。そのかわり左膝の内側がずきずき痛みだす。

焦ってるが足が動かない。孫悟空の金冠のようなものが太ももにガッチリ食い込み、締め付けられるような痛みが走る。ついに、走ることができなくなり、歩き出す。関門が・・・カットオフがあるのに・・・走れない・・・・。走ったり歩いたりを繰り返す。しかし、走っても大して速くない。どっちが速いのかわからないくらい遅い。

雨はやんでたが、知らぬ間に手先から腕全体がしびれだしていた。寒さのせいか?手袋はしてたが雨のせいで濡れていて、しないよりマシだが、防寒の意味はなくなってた。ゴミ袋は雨がやんだ後もずっとかぶってたが、腕は守ってくれてなかったし。気分も悪くなってきた。ちょこちょこ飲んだり食べたりしてきたが、寒さのせいで思ったより消化できてなかったのかもしれない。

寒さで係員に抱えられている人もいる。救急車も来た。

間にストレッチや血糖測定とかいろいろやってたけど、タイムロスが怖くて全部スルー。

第5関門を過ぎたのは14:30くらい。まじで。まさかこんなことになるなんて・・・。14時位にはゴールしてるつもりだったのに、いまだ30kmくらい。6時間でゴールももう無理だ。果たして制限時間内に帰れるのか。いや、それ以前に、このペースで次の関門を通れるのか・・・・。さすがに、もう無理だと思った。観念した。

第6関門まで3.7km。15:20がカットオフ。50分で4km弱。前半のペースなら余裕だが、今はわからない。自分がどれくらいのペースで走ってるのかわからない。「100m、1分だったらいけるよ!!」という係員の人の激励。が、とてつもなく重い。100m、1分。1km、10分。このノルマが今の俺にはとてつもなく重い。先のことを考えると、制限時間ギリギリはまずい。100m、1分。このペースは維持したい。

走りと競歩を繰り返す。指先真っすぐ伸ばして腕振ってると前に進む気がする。太ももに縦に3本電流が走るように痛い。左膝がずきずき痛い。走ってもシューズが地面をこする。

大体、第2ウェーブは10分遅れでスタートしてるし、俺はさらに5分以上遅れてスタートラインを過ぎている。なのにカットオフの時間が第1ウェーブのスタートと一緒の設定だから、最後尾グループにとってはかなりきつい。

なんでこんな人に、と思うような人にどんどん抜かれていく。なんで、こんなことになってしまったんだ・・・。半分以上の人は歩いている。何が一番つらいって、俺は走ってるつもりなのに、歩いてる人に追いつけないこと。こんなペースで関門がクリアできるのか。絶望感が重くのしかかる。ただ、前に進まないことにはどうにもならない。ただ、前に進むために前に進む・・・。

1kmを8分くらいで進んでいるのがわかった。諦めとやる気が交錯しながら進み、第7関門を20分以上位カットオフから短く通過。少し貯金を作ることができた。しかし、ここで35km。あとたった7kmなのに遠い。ゴールが果てしなく遠い。「ちくしょー。」ぶつぶつつぶやきながら進んでいく。

ここで給水、応援、スプレーなどいろんな支援が一気に増える。がんばれ、がんばれと応援してくれる。でも、リタイアバスが見える。もう誰か乗っている。もう止めてくれ。誰か俺を止めてくれ。誰かあれに乗せてくれ・・・。

野口みずきさんが道の真中に立って、みんなを応援してくれてる。俺もハイタッチしてもらった。少し元気出た。でも3回目のトイレストップ。もう足が足ではない。ただの重い棒。しかし、それを使って前に進まなければならない。邪魔な棒を使って進まなければならない。しばらくしたら、野口みずきさんがぴゅーんて走っていった。

名田橋付近。たしか再従兄弟が給水ボランティアやってるはずだが、あまりに余裕が無いのと、人がごった返してて確認できず。

残り5km。ようやく、自分が練習してた距離感に近づいてきた。しかし、ここで「6:45」のゼッケンをつけたペースメーカーの人を発見。その人に抜かれた。やべー。あの人と一緒で残り15分。うー・・・、ついていけない・・・。なんとか食い下がっていくつもりだが・・・。

そこで視覚障害者と伴走者に抜かれる。あ、会社の人だ。「お!おつかれっす!!もうここまで来たらもうちょいですよ!!」「行ける気がしないです・・・。」「大丈夫、もう余裕余裕!!」

これで少し元気出た。最後の関門も余裕を持って過ぎた。「6:45」のゼッケンの人が歩いてるのに追いついた。「歩いても大丈夫ですよー。行ける人は行って下さーい」だって。

ようやく土手道を離れ、街中に入る。気分が変わる。ゴールが近づいているのがわかる。みんなが声をかけてくれる。足の状態はもっと悪くなるけど、一応走る。飯泉知事とどこかのCAの人たちとハイタッチをして。

ていうか、もうみんな歩いている。完全にウォーキングイベントだ。俺はマラソン大会に出ているという挟持で走る。歩いている周りの人と同じスピードで走る。もはや、ここで頑張ってタイムを縮めることに何の価値があるのかわからないのに。

田宮街道に入る。もう、ほんとにゴールまですぐそこ。もう、ゴールできる。みんなもうわかってるから、表情も晴れ晴れしてる。田宮陸上競技場に入るところでで聞き慣れた声が。奥さんだ。そうか、ここまで来てくれたのか。「大丈夫?」「だめ。」

また勝手に涙が出てきそうになる。ここまでの地獄が走馬灯のように蘇ってくる。

競技場に入るとゴールが見える。まっすぐ一本道だ。ゴール手前で野口みずきさんが登場。最後のハイタッチ。そして・・・

もう、声にならない。声が出ない。何も感情がない。終わった。もう、走らなくていい。嬉しくもない。悲しくもない。終わった。ただ、それだけ。

歩くのもギリギリだ。完走記念のタオルをもらい、ちびっこにメダルかけてもらい、記録証をもらう。

脱衣場で着替えるが、みんな死んでる。多分、こんなぎりぎりで帰ってきた人はみんな余裕が無い。素っ裸で動けない人もいる。俺も着替えに10分以上かかった。

スタート前、俺のプランでは5時間くらい、14時位にゴールして、船でイベント会場に行ってイベントを楽しんで帰るつもりだった。それが、この醜態。少なくとも6時間は切りたいと思ってたのに、制限時間ギリギリで帰ってきて、歩くのもギリギリで、近くまで迎えに来てくれた奥さんのおかげで無事、直帰できただけ。

完走の証拠品

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ネットタイムとラップタイム。10kmまでの快調さから30kmあたりで倍近くペースが落ちている。そりゃもうね、一番辛いところだったから。前半もっとゆっくり走ればよかったのだろうけど、それでも果たして後半どれくらいの足が残っていたのかわからない。やはり、俺の足は練習した10kmまでだったということだと思う。もっと休んで、ストレッチとかやってもらったほうが良かったのだろうか。

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スマホで測ってたけど、バッテリーが即なくなって途中で止めた。調子が良かったところまで測れた。このあと地獄が始まった。

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走った後の俺の足。何もぶつけてないのに内出血してた。テニスできるだろうか?

右足首

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左膝

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本来なら帰ってきてこの日記をすぐ書くつもりだったけど、体動かず。一晩立っても太ももが激痛で、家の中で杖がないと歩けない。

完走者が11016人。完走率は過去2番めの低さで86.1%。あの春の嵐に見舞われた2012年は84.3%。通常は90%くらいとのこと。

で、今朝の新聞で順位が判明。8200番台。遅い。俺の後ろにまだ2000人もいたのか。でも、俺の前に8000人もいた。俺の体力てこんなもん?いくら練習してないからってこんなもん?根拠のない自信は打ち砕かれた。それとも練習もしないで完走できただけでもよしとする?

みんな、何のために走ってたんだろう・・・。俺、なんであんな辛い目を見ながら、6時間20分もかけて走ったり歩いたりしなければいけなかったのだろう。なんで諦めなかったのだろう。体がこんな状態になって、何が残ったのだろう。1万人を超える人達。何がここまで突き動かすのだろうか。

丸一日、道路を封鎖してみんなの足を止め、ボランティアでどれだけの人を繰り出したのか。孤独な道のりだった。でも、沿道にボランティア以外の応援の人達がいっぱい声をかけてくれた。ちびっことタッチしたり、車椅子に乗ってる人もいた。辛く苦しいときも、そのときだけは笑顔になれた。給水、救護所では無茶苦茶な風雨の中、ボランティアの人が逃げないで支援してくれた。風でゴミが無茶苦茶飛び散りまくっていた。きっとあれも掃除してくれたのだろう。こんなズタボロになりながら最後まで走れたのはみんなのおかげ。直接感謝の言葉が言えないのが残念だ。ただ、ひたすら、ありがとうございました。本当にありがとうございました。

そして、ランナーたちはまた新たなレース、そして来年も出るのだろう。とてもみんな楽しそうに見えなかったけど、やっぱり走るのだろう。何がそうさせるのだろうか。

俺は、もう、2度と走らない。